※サムネ画像は適当に生成AIでつくったらできました。

音MADの歴史の備忘録として、音MAD作者のコミュニティ形成の歴史を書き残しておきます。相違点や他の視点からの見方などについてご意見をいただけると幸いです。

また、私が主としてニコニコで活動していた期間の話になるので、ここ数年の動きについては把握できていないです。このあたりも補足していただけると幸いです。

音MAD作者間のコミュニティ形成の変遷のまとめ

  1. ニコニコ初期はmixiで作者間の交流があった
  2. 2ちゃんねるの音MADスレが誕生し、wikiや晒しイベントが企画される
  3. Twitterを始める音MAD作者の増加し、Twitter上での交流が盛んになる
  4. ガチムチ、エア本、修造、ドナルドなどスレごとの2ちゃんスレやwikiでの交流が起こる、また大規模合作によりジャンルごとの作者コミュニティが発達(IRC、Skypeなど)
  5. ニコニコ動画の公式のコミュニティで生放送ができるようになり、音MAD作者の集う場所も生まれる
  6. 音作者間のコミュニティは細分化して、それぞれで色々な進化をしていく

ニコニコ動画初期の音MAD作者間の交流について

まず私が2008年から作者として活動していますので、それ以前についての情報が不足しています。情報があれば、ぜひ教えて下さい。

mixiでの交流

この時代はまだmixiが力をもっていた時代であり、mixiにニコニコ動画の作者コミュニティなどがたくさんあり、そのなかに音MAD作者のコミュニティがありました。

なお、mixiでの交流は積極的に交流があったというわけではなく、自己紹介などが主で交流ツールとしてはあまり活用はされていなかった印象があります。

その後も音MAD作者間でmixiでの交流が活発化することはなく、Twitterへの移住が本格的に進んだため、完全に廃れることになります。

しかし、キワミなどジャンルによっては、mixiでのコミュニティが発達していたりするので、あくまでも音MADの作者間のコミュニティとしてはあまり機能していなかったということです。

2008年 音MADスレの誕生

2008年1月25日に2ちゃんねるのYouTube板に音声MAD総合スレッドが立てられます。これはmixiとは違って匿名での交流になります。

初期は他に作者間で音MADの意見交換や相談する場がなかったため、スレでは技術的な情報交換などがされるようになります。

REAPERの情報などもここから徐々に広まっていくことになります。また、183やベテランなど、音MADスレに起因する言葉も生まれました。

音声MADwiki

音MADスレでの情報をまとめるために2008年5月に音声MADwikiをつくられました(私がつくりました)。情報をまとめるとともに後述する晒しイベントの企画を考えていたため、どちらかというと晒しイベントにつなげるための布石的につくったのだと記憶しています。

その後もwikiはMADの作り方やVST情報、曲のBPMデータなどが記録されていたりして、音MADの情報をまとめる場所になっていますが、スレの有力情報をまとめるという内容は徐々に薄まっていくことになります。

音MAD晒しイベント

「wikiもできたし何かイベントみたいなものをやらない?」という書き込みを発端(書き込んだのはwikiつくった本人の自演なんですが……)にして、スレでの話し合い(半分くらいは私の自演)をもとに最初の音MAD晒しイベントが企画されました。当初はお互いの音声制作環境を知るために、制作ソフトの報告が義務づけられていましたが、REAPERの普及によりこれはいまではなくなっています。

ちなみに音MAD晒しイベントは、ニコニコMAD製作初心者向けスレで企画されていたMAD晒しの宴というイベントに強く影響を受けています。

第2回目までは不定期に開催されていましたが、第3回(2008年9月)からは毎週第3土曜日、日曜日に開催される現在の仕様になり毎月開催となっており、現在まで続いています。

晒しイベントによって、音MADスレにいる作者がお互いにわかるようになりました。

音MAD作者とTwitterについて

いまではTwitterをやっている音MAD作者はとても多くいますが、2008年当時はまだTwitterというツール自体がマイナーであり、音MAD作者はほとんどいませんでした。

2008年の夏頃からTwitterをはじめる音MAD作者がでてきて、その後2009年にかけて徐々に増えていきました。

Twitterは匿名でなくその場で音MAD作者同士で双方向のコミュニケーションができるということもあり、より作者間の距離を縮めることにつながり、仲の良い作者同士の狭いコミュニティの形成も促していったと思います。また、初期はニコニコ全体でもTwitterをやっている作者が少なかったということもあり、音MAD作者だけでなく、映像MAD作者など、音MAD作者以外の人とも交流がありました。

音MAD作者の数も少なかったので、「音MAD作者みんなトモダチ」みたいな感じで、Twitter上にいる音MAD作者はほぼ全員で一つのクラスタを成していたような時代です。

もちろん作者間の距離が縮まったり、仲の良い作者同士の狭いコミュニティ形成にはTwitterだけではなく、後述する合作に起因するSkypeやIRCなどの合作チャットも大きな役割を果たすことになります。

Twitterでの音MAD作者間のブーム

Twitterに音MAD作者が増えると色々なブーム?も起こりました。音MAD作者同士のチャHや自分のご本尊サイズ晒しなど闇の深い?ブームなどもありました。

Twitterと音MADスレの対立

2008年末から2009年にかけては、Twitterはやっている音MAD作者とやっていない音MADとで分かれており、スレでTwitterの話題が出て荒れるということがたびたび起こっていました。その後はTwitterをやる音MAD作者の数のほうが増えたため、しだいにこのような対立もなくなっていったのですが、スレからTwitterへ交流の中心が移り変わっていく時期ならではのものだったと思います。

また、Twitterをやる音MAD作者が増えたことで、Twitterでも発言をするため、どうしてもスレは匿名であるがゆえにTwitterなど匿名ではない環境では発言しにくいネガティブな内容が増えていったということもあります。

ガチムチ、エア本、修造、ドナルドなどジャンルごとの交流

2ちゃんねるでのスレやwikiでの交流

ガチムチ、エア本、ドナルド、修造などはそれぞれ2ちゃんねるでスレが立っており、それぞれスレで交流が進んでいました。

また、各ジャンルごとにwikiを設立し、wiki中心で合作の企画がされるなど、それぞれのwikiも交流の核を担っていました。

大規模合作に起因するIRCやSkypeチャットによる交流

ガチムチ、エア本、修造、ドナルドなどの大規模合作にともない、合作のためにIRC、Skypeなどでのチャットがつくられ、そこでも音MAD作者間の交流が生まれました。

※ちなみに最初のエア本の大規模合作はスレとwikiだけのやり取りでつくられましたので、主として2008年のガチムチの糞晦日以降ということになるかなと思います。

合作終了後も合作チャットでの交流は残ったり、合作きっかけでSkypeでお互いにコンタクトが取れるようになったため、仲の良い作者同士で新たなコミュニティを形成したりというような流れが生まれました。

ニコニコ動画のコミュニティで生放送ができるようになり、音MAD作者の集う場所も生まれる

2008年末にユーザー生放送ができるようになり、これまであまり意味のなかったニコニコのコミュニティも発達してきます。

※紛らわしいのでニコニコ動画のコミュニティはコミュニティ(ニコニコ)と記載します。

音MADコミュニティやその後につくられた音MAD研究コミュニティが交流の場所としては中心となります。動画を流すリクエスト放送などが多かったですが、雑談生放送をする作者も当時でも私を含めて数名がいました。

コミュニティ(ニコニコ)の生放送はTwitterでシェアされるなどして、生放送に端を発する企画も多くがあり、コミュニティ(ニコニコ)は現在でも音MAD作者のコミュニティとして大きな影響があるといえるでしょう。

音MAD作者間のコミュニティの細分化が進む

TwitterやSkypeなどでの交流の結果、音MAD作者はより細分化されたコミュニティを形成していった。

ここから細分化されたコミュニティがそれぞれ独自に発展して、音MADクラスタも大きな1つのまとまりから細分化されたコミュニティに分かれていくことになります。

この後はDiscordの登場など、さらに動きがありますが、今回の記事では2010年までのコミュニティ形成についてとさせていただきます。