音MAD晒しイベントが開催されるまでの流れを備忘録的にまとめます。

こちらも合わせて参照するのがオススメです。

とくに後半部分の音MAD晒しイベント開催までの流れ

2007年~2008年当時のニコニコ動画ではTwitterなどをやっている音MAD作者は皆無で作者同士の交流は基本的に匿名の音MADスレなどが中心でした。

音声MAD総合スレッドについて

みなさんご存じの音MADスレです。立てられたのは2008年の1月です。当時は音MADの制作環境も謎が多く、みんないろいろなソフトを使っていたため、技術面も含めていろいろな話題がありましたが、ちょっと過疎気味でしたね。

そんな背景の時代で、音声MAD総合スレッドから晒しイベントが企画され、開催されるような感じです。

そして音MAD晒しイベントの開催までの流れを語る上で外せないのが、youtube板にあったMAD晒しの宴スレです。

MAD晒しの宴について

こちらは現在では開催されていませんが、その歴史は音MAD晒しイベントよりも古く、2007年の6月に第1回が開催されています。

「ニコニコ大百科:ニコニコMAD晒しイベント」も参照

これがニコニコ動画におけるMAD晒しイベントの元祖です。音MAD晒しイベントも基本的にはこの晒しイベントを音MADにマイナーチェンジしたものになります。

この晒しの宴は音MAD、ネタMAD、映像MAD、PV系MADとなんでも参加可能なMAD晒しのイベントでした。当時は音MADでこのイベントに参加する人もちらほらといました。

初代の音MADスレにもMAD晒しの宴の宣伝が来て参加を促すなど、独自の音MAD晒しイベントがない時代には音MAD作者も自分のMADを晒す機会はこのイベントでした。

そしてこのイベントでは当時は参加作品をみんなで批評するという試みがあっていたのですが、やはり映像MADでの参加が主流のため、音MADでの参加だと批評もされにくく、どうもアウェー感があったと私は個人的に思っています。

このあたりが音MAD独自の晒しイベント開催につながる要素です。

音MADwikiの設立から晒しイベント開催まで

ここまでが背景の説明ですが、ここからは私(ユビュ)が晒しイベントの開催までに動いた流れについて説明します。

おそらく自分の行動が晒しイベントの開催において大きな役割を担ったことは事実ですが、晒しイベントなどのイベントの開催希望は音MADスレを見る限り自分だけでなく他の作者も思っていたことであり、また初代の晒しイベントには多くの作者さんが参加してくれたことからみても当時の音声MAD総合スレのある程度の総意であったのではないかと私は考えております。

初代スレ85で「音MAD晒しイベント」という書き込みがありますが、これは私ではないはずですし。

当時の他の作者の考えを断定することはできないので、あくまでも自分の状況を書きますが、当時の音MADスレに対しては以下のようなことを思っておりました。

  • 過疎化で書き込みがないので活性化したい
  • もっと作者同士でつながりたい、交流したい。将来的には合作したい
  • どんな作者さんがスレにいるのかが知りたい

そしてこれを満たすために音MADwikiをつくって晒しイベントを開催したという流れです。

先ほどMAD晒しの宴の話がありましたが、自分も2008年5月の第14回のMAD晒しの宴に参加しました。

この頃にスレにいた自分は音MADスレで呼びかけて「このスレの音MAD作者のみんなで晒しの宴に参加しよーぜ!(VIPのノリ)」とかも思っていたのですが、 ただ、先ほども言ったように音MADでの参加は批評なんかもあんまりで、やっぱりイベント的にはちょっと温度差を感じてしまって、晒しの宴とは別でやったほうがいいなと思ったんです。

ちょっと話が外れますが、晒しの宴のスレでは「もってけ!セーラーふく 」を使ってみんなの切り抜きを集めた合作なんかもやっていて、将来的に音MADスレでも合作をやりたいなあという思いがあって、そういうのもwikiの作成、スレの活性化・作者同士の交流をしたいというのの一因ですね。

音MADwikiの開設

その5月のMAD晒しの宴イベントに参加したあとに、音MADスレ独自路線でなにかやりたいなあと思ってて、スレに「wikiつくったら需要あると思う?」と書き込んで、好意的な反応が返ってきたので(うち一つは自分の自演)、音MADwikiをつくって管理人になったんですね。

※つくった段階では匿名でwikiもつくってましたが、晒しイベントのときに承認欲求に耐えきれず自分からバラした。

wikiは将来合作とかするときの本拠地にもなるし、wikiがあれば作者間の交流ももしかしたら進むかもみたいな感じもありましたし、これでイベントも企画できるかなあみたいな思いもありました。

音MADの作り方をまとめたいとか素材をまとめたいとか本来のwikiの目的からは逸れた感じで設立しましたね。それくらい交流に飢えてた。

音MAD晒しイベントの開催

そしてwikiをつくったら、作品晒しの話題がスレで出ていたので、いましかないと思って、わざわざ別人を装って「せっかくwikiもできたし何かイベントみたいなのやらない?」と書き込んだわけですね。すがすがしいまでの自演。

(IPの変え方わからなかったので、家のパソコンと大学のパソコンつかって自演してました・・)

その書き込みでも言ってますが、当時はみんなの制作環境が知りたかったし、MAD晒しの宴みたいに音MADでお互いの批評は荒れそうだなと思ったので、音MAD晒しイベントでは批評ではなく制作環境を書くことを提案しました。

自演はしましたが、自分以外にもイベントに積極的な人は多くいて、意見が出てきて議論が活発化してきたので、

音MAD晒しイベント
【作品うp期間】
5月31日(土)~6月1日(日)
(ニコ動の不具合、メンテがあれば日程が前後する場合があります。)
【ルール】
新作の音MADなら何でもOK。
使用する曲・素材、映像の有無などは作者の自由です。
修正版(過去作品を手直ししたもの)での参加もできます。
ただし、参加作品は音声編集に使用したソフトを報告すること。
【参加方法】
「音MAD晒しイベント」?タグを固定

という感じで、まとめました。みればわかるのですが、基本的にはMAD晒しの宴のフォーマットをそのまま流用しており、MAD晒しの宴の音MAD版として始まったんですね。これによってMAD晒しの宴に音MADでの参加がその後激減するなど、明確に映像MADと音MADと分けられたような感じになりました。

ついでにwikiに投票フォームを設置したので、開催のほうに自演で何票か投票しました。ただ、このあたりでは基本的に開催に異を唱える人はほぼいなかったと思います。

あとはもう開催までは流れでいけちゃいましたね。

自演もしたので、「参加者全然いなかったらやべー」と不安でしたが、音MAD晒しイベントが開催されると、予想以上の大物作者のうpが相次ぎものすごく興奮した記憶があります。

自分も渾身の音MADをつくって参加したのですが、めっちゃ空振りました。悲しい。

↑私の渾身の音MAD。制作環境でSuzukaって書いてFlash使えるアピールしたかったのが痛々しい。

まとめ

だいたい流れとしてはこんな感じだったかなあと。正直、10年以上前のことなんで、曖昧なところも多いと思いますが。

個人的な意見ですが、音MADwikiにしても、晒しイベントにしても、上の方でも述べましたが、Twitterなどでの交流もなく、mixiなどでの曖昧な交流しかなかった時代に音MAD作者同士での交流に飢えていたところに必要とされたというところはあるのかなあと思います。

ちなみに合作したいと書いてましたが、その後スレで企画された魔理沙合作は見事に頓挫。音MAD作者での初の大規模合作はエア本スレ発の2008年9月のエア本合作になります。ちなみにその裏ではガチムチ合作も企画されており(2008年大晦日投稿)、こちらはIRCを使っていて、話し合いながらの合作でした。

また作者同士の交流については、スレはあくまでも匿名の交流の場となり、たまに自分が「wikiの管理人」と名乗って書き込むくらいだったかなあと。

2008年の夏頃からTwitterに音MAD作者がどんどんと増えていって、そっちで名前を名乗って交流できるようになるので。

しかし、10年以上前に企画された音MAD晒しイベントがいまでも続いており、超音MAD晒しイベントなどのすごいイベントも企画されて進化を続けているのはスゴいと思います。自分も当時に自演した甲斐があったなと。